善財和也と大きな鯨
- snufkaninfo
- 2011年2月3日
- 読了時間: 2分
昨年の夏に照明の門馬さんに連れて行ってもらった獏原人村の満月祭に出てたアーティストの一人。
善財の財の字は本当はこっちじゃないんだけどこれでも検索で引っかかります。
そもそも獏原人村と満月祭自体がどんだけネイティブ感バリバリなんだよというくらいすごいやつです。
電気も通らない山の中にぽつりと開いた人口10人足らずの小さな自由村に、開催期間中は日本中から(なんか外国の人もかなり大勢いたけど)5000人近くの人間が押し寄せる一週間ぶっ続けのお祭りで、期間中は特設のステージでかわるがわるアーティストが曲をがなるがなる。
「善財和也と大きな鯨」は、その中でも僕がもっとも衝撃を受けたグループでして。
このイベントに参加するアーティストはギャラや何かが発生してるとかじゃなくて、ほとんど参加したくて参加している人ららしく、士気というかモチベーションが異常に高い。必然演奏される曲はどれもこれも圧倒されるものばかりでした。
で。
彼らは最初にステージに上がってしばらく調律、というか音合わせをやっていたのですが。
(そして音響さんと何かもめていた)
演奏が始まっていきなり、舞台の上が「お祭り」になったんですよ。
別に踊ったりしてたわけじゃなくて、演奏してただけなんですけど。
もう本当にそう形容するしかないくらいに「お祭り」。
(前日に会場を揺るがせた「ラビラビ」はまた違う意味でお祭りでしたが。「お祀り」の方)
森の神にでくわしたみたいな圧倒的な精気。
なんだこりゃと思わずにいられませんでした。
彼らの出番はずっとそんな感じで、もうでかい音楽の波に翻弄されっぱなしでしたが、一番最後に彼らがやった曲は一転して静かで力強い歌でした。聞き違えでなければ「くじらのうた」と言っていたと思うのですが、今までの曲と比べてもほとんど反則と思えるくらいに強力なインパクトがありました。
前者を森の神と評しましたが、これはまさにワダツミの神。鯨のごとき精気。
決して大げさではない。
衝撃で酔ったような状態は日常でもしばらくあとをひきました。
ココペリの原案を書き上げたのはそれからしばらくしてからでしたが、今回の舞台はこの人らを目の当たりにしなかったら実現しなかった。
ネットで動画がいくつか公開されていますが、残念ながらこの「くじらのうた」は探し出すことができませんでした。
それに感じが近い「地球の子」という曲はアップされていたので、興味のある方は検索してみてください。
本当にすごいです。
僕も頑張ろう。
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