ノスタルジイというやつ。
- 小林 基
- 2022年11月5日
- 読了時間: 3分
更新日:2022年11月15日

あれもう公演まで一か月前くらいなんですか?
やばい早いな一ヵ月。光陰矢の如しだ。
こないだの大野中学校の文化祭、芝居も含め大団円の終了となりました。
意外に知人に出くわすの多かったな。みんなOBなんですって。世間は狭いな。
ほぼ大野中の総力(全校生徒三名、校長を含めた教師陣)+ごきげんようのメンバーの奮闘もあり、傍から(照明ブース)から見ていてもああ、よい芝居だったなと。そんな感じで幕も無事下りました。見てた連中(身内ども)からも、なんか懐かしいな、嬉しいなみたいな話も出てましたし。まさに有終の美という感じだったのかな、と。
そうか、この馬鹿でかい校舎でいま学んでいるのはたったの三人で、それが今年度で終わっちまうんだな、その一場面に我々は今立ち会ってんだな、と。
あの、どうしても我々という奴らは、それが無くなってしまうことがわかってからでしか惜しむことができないのかな、わりと薄情な生き物なんじゃねえかな、などと思うことがありまして。まあ最近は本当に身の回りから様々なものが消えて行ってまして、よく行ったCD屋とか、定食屋とか、資料館とか、まあ学校とか、劇場なんかもですけど、なんでこうもっと、大事にしてやれなかったのかなとか、もっと行けばよかったなとか。そんな後悔ばっかが折り重なってます。なんでなんすかね。
それはまあ、少し淋しいことではあるんですが。
せめて記憶とか、思い出みたいなものに残しておこうという働きは偉大だな、と思ってまして。それは去っていったものの為ではなく、むしろ自分の為の、ここから先へ歩いていく助けになるはずのもので、だから我々は、友人や家族や、そういった人々とつるみつつ、様々な場所に行って様々なことをやるんだろうなあ、と。誰しもが持っている、「ああ、あの頃は楽しかったな」という記憶が、ふと淋しくなったときに傍らにいてくれる、そういうことを今必死になって作ってんのかもな、などと思ったりしています。
大野中最後の生徒たち、そこに居合わせたたくさんの人々の中で、たぶんあの芝居も「そういうものの」一個になったんだよなあ、なって欲しいよなあ、などと思ったりしました。
まあ俺が当日やってたのはフェーダーの上げ下げやってただけだけど。
いやいいじゃないですか。そういうのだって必要なんですよ。頼むからあの舞台に一筆添えたんだと思わせておくれよ!
情緒不安定だな俺は。
まあそうこうしているうちに、これ書いてる時にはいわき小劇場が公演をやっていて、明日はそれを観に行って、そんで一ヵ月したら俺らの舞台が始まって終わっちゃうわけなんですけど。
まあなんというか、自分たちにとって良い思い出になるように。
観に来てくれた人々にも、「ああ、昔そんな芝居を観たっけな」みたいな思い出になるように、そんな風にやりてえなあ、と思います。
あと地味にお知らせ。
11月26日、いわき市植田のワンノートカフェの「ゲキよみカフェ」、ゆるく自由に持ち寄った台本読んで、なんか気づいたり意見とか感想もらったりできるゆるくてよい機会です。主催も運営も俺じゃねえけど。なんか台本見てもらいたい人とかいろんな人を見てみたい人とかおすすめです。うまい飯もつくし参加費はほぼ飯代だし。おすすめですぜ。
あー、頑張ろう。
ではまた。
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